少しまえ、王貞治氏がこんなこと言ってました。
体罰問題の根底「古き良き日本が失われたから」と王貞治氏 (NEWS …
また、NHK経営委員の中の人が、こんなこと言って世間を騒がせました。
長谷川三千子さん「女は家で育児が合理的」 NHK経営委員のコラムが波紋
わたしはかねがね、そんなに「昔っていい時代だったかなあ」と疑問に思ってました。
そんななか、日経新聞でこれの紹介を発見、即買いしました。
その割に読むまで時間がかかりましたが。
昔の人はモラルが高かったのか
これは、1942年8月22日付け読売新聞の記事だそうです(現代語にしてあります。)。
2014年と言い換えても通用しそうな内容ですね。
他にも、車内で化粧や着替え(!)をする女性に対する不快感を表している記事もあります。
非常に興味深いのは、この戦前の記事においても「昔に比べてモラルが低下した」というニュアンスで述べられているところです。
昔の人は年長者を敬っていたのか
昔はさぞ年長者を敬っていたのでしょう。「家長制度」なんかもありましたしね。
とおもったらこんな記事。
昔しは大老とか老中とかいう風に、政治上の重職には皆「老」の字を用い、「老台」と言えばかなり重い敬称になったもので、年寄りという字は、直(ただち)にその人を貴(たっと)ぶ意味であったそうです。然るに今ではこれと反対で、「老」の字は何んだか軽侮の意味に多く使われます。時代が若くて、生気があるというものも結構ですが、しかしそれが家庭にまで及んで子供が大人を侮るというようなことは、怖ろしいことです。(読売新聞1918年6月1日)
現実に起こった姨捨(おばすて)事件まで報道されています。
マスコミの論調も、高齢者が世の中に執着することに大変厳しいものでした。
体の自由がきかないにもかかわらず仕事をしたいという高齢者に対して「零落を恥じる−哀れな見栄と身内への反抗 身は老い心は疲れ果てていても、まだ絶ち切れぬ!現世への執着」という見出しをつけています(読売新聞1936年2月26日)。
昔の人は子供に厳しくしつけていたか
よく子供がやんちゃをしていると、「昔は他人の子でも注意したものだ」と言うことがあります。
しかし、当時の子供の「いたずら」をみてみると、寺社仏閣、道路、公園、公衆便所などへの落書き、街灯(ガス灯)への投石(当時ガラスは大変高価なものでした)、汽車への投石など、社会問題化していたそうです。
この子供たちに対するしつけはどうだったかというと
一番多いのは、そこらへ平気で食物の芯や包紙を棄てること、次は鼻紙を投げ捨てること、第三には制札の場所をもかまわず通行すること、次は子供を平気でなぐったり、それから便所以外の場所へ子供の便を平気でやらせることです。(読売新聞1926年2月6日)
子供以上に大人のマナーが悪かったようで、外国人から「しつけが甘い」という指摘を受けております。
現在はそこまで危惧するべき状況か
本書によるまでもなく、私が物心ついた30数年前の状況と比べてみても、現代人のモラルは格段に向上していることは間違いないでしょう。
いまは、電車の中でタバコを吸う人もまず見ませんし、路上のゴミも相当少なくなっています。電車の乗降に際してはきちんと整列するし、混雑しても文句を言う人はほとんどいません。
極めつけは3・11です。あのような危機的状況においても暴動が起こったという報道に接していません。
少なくとも以前の方がよかった、というのは単なる懐古主義で有害でしかないのではないかとさえ思います。
今般、某政権が、道徳の授業に力を入れようとしたり、国民を縛るという全くよく分からない憲法改正をしようとしています。
無批判の懐古主義は無反省に過去の過ちを繰り返すことになりかねません。
そうなってしまったときが、本当に現代を憂うときになってしまうのだとおもいます。
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