川崎(じもと)の弁護士 伊藤諭 です。

ネット上における脅迫事件で,当初被疑者として逮捕・勾留(中には起訴されたり,少年審判で保護観察処分を受けた人もいるようです。)された人たちが,実は真犯人によるなりすましだったとして,(広い意味での)えん罪被害があったと報道されております。

しかも,報道によると4人中2人がなんと自白をしていたそうです。

どうして人はやってもいないことを「自白」してしまうのでしょうか。

もっとも典型的な例としては捜査官による暴行や脅迫による自白の強要がなされたことが考えられます。しかし,今回はそのような報道はされておりません。

今回は,被疑者とされる人が所有していたパソコンのIPアドレスから問題となった脅迫の書き込みがなされたという証拠があり,その「客観的証拠」をもとに逮捕勾留が行われております。

この「客観的証拠」から,逮捕勾留した人を「犯人である」というところまで結びつけてしまったということに今回の問題がありそうです。

記録が残っているIPアドレスの発信元となったパソコンの所有者(ないしは使用者)が,必ずしも書き込んだ人ではないという可能性を全く吟味しなかったということです。かならずしもそのパソコンのキーボードを叩いて入力しなくても,そのパソコンで書き込みが出来るという発想がなかったのでしょう。

この「客観的証拠」の存在から,このパソコン使用者以外犯人はいないと決めつけて取り調べを行っているのです。取り調べを受けている側も,この「客観的証拠」を突きつけられた以上,どんなにやっていないと行っても信用してもらえないと観念したのかも知れません。

1人の方は,女性と同居していたようです。自分でなければ彼女が同じ目に遭ってしまう。もしかしたら彼女が書き込んだのかも知れないと疑心暗鬼になるかも知れません。自分が否認を続けると,彼女を追い込んでしまうかも知れません。いずれにしても,途方もない絶望感でしょう。

実際の取り調べはどうだったかこれからの検証になると思いますが,「客観的証拠」を突きつけるだけで,表面上は穏やかであっても,やってもいない自白をする場合は十分に考えられると言うことです。細かいことは,「客観的証拠」と矛盾しないよう誘導に乗ってしまうのです。

一旦自白をしてしまうと,それをひっくり返すのは非常に困難です。これはすなわち,裁判所がいったん自白したという事実を非常に重視しているということです。その発想の根底は,「人はやってもいないことを認めることは基本的にはない」ということがあるはずです。

今回の事件では「人はやってもいないことを認めることは珍しいことではない」ということを私たち法曹に教えています。

大変深刻な警鐘と受け止めなければいけないでしょう。