皆さんは、「訴訟」や「裁判」、さらには「裁判所」に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
固い感じ?近寄りがたい?
いずれにせよ、明るいイメージはあまり無いといった具合でしょうか。

日々のニュースで、〇〇万円の賠償を認める判決が出た(民事事件)、とか、△△罪で懲役×年の実刑判決が出た(刑事事件)、といった内容は聞いたことはあると思いますが、そういったものも、そのようなイメージを強くさせてしまう面があるかもしれません。

しかし、裁判所には、このような事案だけが持ち込まれるわけではありません。今回は、あまり目にしない類型の事案をご紹介します。

これから紹介する事案は、令和5年6月5日、新潟地方裁判所において判決が出たもので、現在は、高等裁判所で訴訟が続いているものです。

どのような事案か

本件は、新潟県湯沢町が、隣接する十日町(現・十日町市)との間で、高津倉山及び高石山付近の境界に争いがあるとして、地方自治法9条9項に基づいて境界の確定を求めた事案です。  

紛争となった土地の状況は、大きく2つに分かれます。

まず、係争地①として、高津倉山という山の南側の土地があります。
この係争地①は、更に①−1として清津川の東側の土地、①−2として西側の土地とに分かれます。
この係争地①については、清津峡という国指定の名勝天然記念物の一部があります。

次に、係争地②として、高津倉山の北側の土地があり、ここには、スキー場のリフト施設の一部があります。

紛争の背景事情  

湯沢町は、今回問題となった境界付近に存在した三俣村と湯沢村が合併して、町となりました。
他方、十日町は、まず、田沢村と倉俣村が合併して中里村になり、次いで、中里村が他の市町村と合併して十日町になりました。

湯沢町と十日町とは、遅くとも平成2年には既に本件境界の協議に入り、以後、協議を重ねてきました。そうした中、湯沢町は、令和元年5月、地方自治法9条1項(下記参照)に基づいて、新潟県知事に対して、調停申請を行いました。これを受けた新潟県知事は、地方自治法251条の2の規定による調停に付することを決めました。  

しかし、新潟県知事は、令和元年7月には、この事案が調停には適しないことを認めて、湯沢町に対して、その旨を通知しました。そこで、湯沢町は、令和2年4月、今回の訴訟を提起しました。


第九条 市町村の境界に関し争論があるときは、都道府県知事は、関係市町村の申請に基づき、これを第二百五十一条の二の規定による調停に付することができる。
② 前項の規定によりすべての関係市町村の申請に基いてなされた調停により市町村の境界が確定しないとき、又は市町村の境界に関し争論がある場合においてすべての関係市町村から裁定を求める旨の申請があるときは、都道府県知事は、関係市町村の境界について裁定することができる。
(略)
⑨ 市町村の境界に関し争論がある場合において、都道府県知事が第一項の規定による調停又は第二項の規定による裁定に適しないと認めてその旨を通知したときは、関係市町村は、裁判所に市町村の境界の確定の訴を提起することができる。第一項又は第二項の規定による申請をした日から九十日以内に、第一項の規定による調停に付されないとき、若しくは同項の規定による調停により市町村の境界が確定しないとき、又は第二項の規定による裁定がないときも、また、同様とする。
(略)


 

裁判所の判断

過去に示された市町村の境界確定のための基準  

昭和61年5月29日にあった最高裁の判決では、自治体の境界を確定するに当たっては、その境界について、変更または確定する「法定の措置」が執られていない限り、❶江戸時代における関係町村の当該係争地域に対する支配・管理・利用等の状況を調べて、おおよその区分線を知ることができる場合には、これを基準として境界確定すべきである。
しかし、おおよその区分線を知ることができない場合には、❷区分線を知り得ない場合には当該係争地域の歴史的沿革に加え、明治以降における関係村町の行政権行使の実状、国又は都道府県の行政機関の管轄、住民の社会・経済生活上の便益、地勢上の特性等の自然的条件、地積などを考慮のうえ、最も衡平妥当な線を見いだして境界を定めるのが相当である、として、判断基準が示されました。

本件での判断

今回の事案では、過去の最高裁が言う「法定の措置」は執られていません。そのため、上に見た❶と❷の基準に従って判断されることになります。

結論

新潟地裁は、次のように認定しています。

係争地①−2 倉俣村(十日町側)の住民は、江戸時代末期から、地租改正後に官有地に編入され入会地としての利用が制限された明治8年頃までの間、木材や馬草等の採取のために入会地としての利用し、その代償として領主に米を納めるなどしてきた。
これに対して、三俣村(湯沢町側)の住民は、明治10年以降に立ち入ることがあったと認められるにとどまり、更に進んで、江戸時代において倉俣村の住民と同様の利用等をしていたとは認められない。
したがって、江戸時代における関係町村の利用等のおおよその区分線として、十日町の主張のとおり認定。(❶の基準による判断)

係争地①−1 湯沢町側の村や十日町側の村の間では、清津川の流路との関係で、江戸時代においても相当の往来があり、これに伴って各住民が係争地①−1にも立ち入ることがあったと考えられるものの、各住民が具体的にどのような利用等をしていたのかは明らかではなく、江戸時代末期における関係町村の利用等のおおよその区分線をしることもできない、としました。
その上で、水利・治水上の観点や地勢上の特性に鑑みて、十日町に属するものと定めた。(❶によることができず、❷の基準による判断)

係争地② 江戸時代における町村の管理、支配、利用等の状況を踏まえ、湯沢町に属するものと定めた。(❶の基準による判断) 

あとがき

当事者である両自治体は、この判決を受け、控訴しています。現在、高等裁判所で審理が続いているものと思われます。

この判決を紹介する法律雑誌でも、このような事案は「比較的まれ」と紹介されており、ニュースなどでもあまり聞かない珍しいものといえるでしょう。しかし、司法権として三権分立の一翼を担う裁判所は、こういった事案も時には取り扱っています。裁判官としては、適法に起こされた裁判である以上、取り扱わざるを得ないのだ、ともいえるかもしれません。この事案を通じて、皆さんが裁判所に感じるであろうイメージに少し楔を打つことはできたでしょうか。

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